小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

公式ブログからこちらに引っ越し。試用期間中です。

「クラッシュ」

★★★☆☆

クラッシュ [DVD]

クラッシュ [DVD]

 アカデミー賞作品賞ということでDVD借りてきました。いい映画だとは思うけど、でも……アカデミー賞取るほどなのかなあ…って気持ちで★みっつ。


 個人的にはこういう群像劇は好き。最初登場人物たちが脈絡なく登場して繋がりが見えないので、それぞれの関係性を把握するのと、感情移入するまでに時間がかかるけれど、だいたいはきれいに大団円を迎える。この映画の終わり方はファンタジー仕立てでしたが。まあ大きな街の中で結局登場人物が全員が繋がってるなんていう偶然は現実ではあり得ないので、ファンタジー仕立てはいいと思う。ていうかファンタジーとして見ないと、妙なところでひっかかってドラマに入り込めないだろうし、最後のシーンも「奇跡」として見ることができない。同じ街に住む何人かの人たちがそれぞれの一日を過ごして、すれ違い、偶然に出会い、悲しい事故に巻き込まれたり…。


 群像劇があまり好きじゃないのか、単にこの映画のノリが好きじゃなかったのか、一緒に見ていた私めの夫は最初の展開を見た途端、「最後にカエルが降って来て終わるんだよ」と、似たようなシチュエーション映画(ネタバレになるんであえて伏せます)のエンディングのネタを持ち出して冗談言ってたんですが、うーん、この映画も最後に降りましたよ。夫、すごいよ。いや、カエルじゃなくて別なものだったけど。インパクトとしてはカエルには到底及ばず。


以下ネタばれあり


 のっけからマット・ディロン扮する警官の行動にひきます…。ひくというより怒りを覚えるほどひどいことを黒人夫婦にする(これでうちの夫、完璧にこの映画に感情移入するのやめて始終不機嫌でした)。マット・ディロンが何故そんなことをしたのかは一応説明されてはいます。病気で毎夜苦痛に苛まれる父と二人暮しのディロンは、なんとか父親の苦痛を緩和してもらいたくて医療保険事務所に懇願するのですが、貧しい白人(たぶんアイリッシュ系。警官や消防員に多い)の彼の保険では父親にいい医療を受けさせることもできず、電話口で担当の黒人女性に冷たくあしらわれる。黒人女性に差別用語を投げつけ電話を切っただけでは気持ちが収まらずパトロール中に目をつけた黒人夫婦が餌食になってしまう…。


 ディロンだけではなく、登場人物たちの会話にはしつこいほど人種問題に関する言葉が出てきます。それは単純に有色人種が差別されてるという話ではなく、現在のアメリカが政治的な正しさを求めるあまりに行過ぎた政策を取り入れ、それがさらに人種間の問題を複雑にしていると問題点もきちんと描かれてる。


 つまりは「アファーマティブ・アクション」なのですが。肌の色によって不当に差別されている所謂弱者(今のところはほとんどが黒人対象)に対しての優遇政策。就職や就学において、同じ成績、同じレベルの白人と黒人がいる場合、アファーマティブ・アクションによって黒人が優先される。この政策に共和党などは反対してたと思うのですが、私もちっともいい政策とは思えない。


 黒人をあまりに優遇することによって、教養を得るチャンスもなく就職もままならない貧しい白人層は当然、優遇政策に対して不満を募らせる。そして、優遇されていい職に就いている黒人に対して八つ当たり的な憎しみを抱くこともある。弊害はそれだけではなく、優遇政策のお陰ではなく自分の実力でエリートになった黒人たちまでも一緒くたに優遇政策でその地位を得たんだと思われ、そういう視線で見られたり嫌味を言われることもある。この政策は人種間の軋轢を無くすどころかますます深くしてるだけじゃないかなあと思ったりします。


 ディロンと保険事務所の黒人女性との軋轢だけでなく、アファーマティブ・アクションポリティカル・コレクト政治的に正しい表現や扱い)の弊害が他にも描かれています。黒人が白人を殺した場合より白人が黒人を殺した場合は問題がさらに大きくなる。原因は全く関係ないことであっても必ず人種問題に発展するし、警察内部での昇進や検事の選挙対策でも異様なほど黒人世論を気にしていて、映画の中では黒人汚職警官を射殺した白人警官を、黒人世論を恐れて汚職を隠蔽して白人警官をいけにえとして起訴するなど、ほとんど逆差別と言えるような現状が描かれていて、それが今のアメリカなんだなあと思わせる。差別をなくそうという意識で生まれた政策に逆にがんじがらめになって、差別はより潜在化し深刻化しているのかも…。


 延々と人種問題について書いてしまったけど、この映画の一番のテーマは人種問題でも差別問題でもないところにあるようです。


 「人間はある局面においては悪を為し、別な局面では善を為す」


 …て、当然のことなんですけどね。ひどい悪人だっていいこともしてるでしょうし。つまりは人間のそういう多面性を描きたかったんじゃないかなと、映画見てて思いました。限られた登場人物たちのエピソードすべてに、その多面性・両面性が描かれてました。ある者は他人に対してひどい侮辱的行動をし次の日には命がけで侮辱した相手を救い出したり、自分には人種的偏見などないと自負している清廉潔白な者が最後に絶望的なほど救いのない罪を犯してしまったり、無垢な被害者だと思っていた者が実はワルだったり、普段から冷たくて差別的でヒステリックな者が実はとても孤独で救いを求めて人知れず泣いていたり…。


 群像劇にありがちな偶然の連続と、善と悪との対比の単純さや、どうしても人物描写の薄くなりがちな構成のために、見ている側としては誰かに特別共感するわけでもなく、なんとなーくいろんな人間模様を見せられていく。で、物語の筋自体はかなり読めてしまう。わりと予定調和的に進む。いい俳優さんがけっこう出てるのに、それぞれが中途半端というか薄いドラマになってしまっていてそこが残念。特にサンドラ・ブロックのエピソードはもう少し彼女の内面を描いてほしかったなあと思う。


 最後のオチも、カエルより安易かなあと思ったり…。どうしてもキリスト教的ファンタジックなまとめ方されると、日本人の私としては「ふうん……」て気持ちで止まってしまう。淡々と見てしまう。私にとってはアファーマティブ・アクションの現状、問題を描いているところは評価できるし、マット・ディロンを初めて俳優としていいなあと思ったくらいで、他に特に収穫も感動も少なかった…。でも、きらいな映画じゃないです。見る価値はあると思う。