小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

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『太陽』

★★★★☆

映画『太陽』オフィシャルブック

映画『太陽』オフィシャルブック

 【ネタバレしてます】
 

 久しぶりに夫とシネコンに行ってこれと『イル・マーレ』見てきました。


 太平洋戦争終結直前から直後までの昭和天皇、その公では見ることのできなかった部分を何故かロシアの監督ソクーロフが映画化。


 映画見る時は事前の情報をできるだけ頭に入れずに見に行くので、いったいどんなものなんだろうという興味だけで行きました。冒頭は地下壕で生活する昭和天皇が侍従たちに世話されているところから始まる。イッセイ尾形の昭和天皇モノマネはかなりうまい。だけど、たまに(特に彼が部屋にひとりでいる時のひとり芝居の時)、「昭和天皇を描いた映画」という感覚から、イッセイ尾形の舞台を見ているような感覚に引き込まれそうになってしまう。どうしてもイッセイ尾形のイメージを消せない。それでも侍従相手に素の天皇としてしゃべってるところなんかは、ああ、昭和天皇ってこういう感じでしゃべってたなあと思います。


 すごく昔、昭和天皇存命中、テレビで天皇が有名人を御所に呼んでひとりひとりとしゃべる風景を思い出しました。日本国内で一番位の高い天皇だから、敬語、謙譲語、使わない。なんか子供みたいに「それは……なの?」「これってなに?」「あ、そう」って普通にしゃべってて、答える人たちはガチガチになって最上級の敬語使ってたなあ。さすが現人神として育てられた人だと思う。人間となった後の今上天皇含め皇室の方たちは、今はきちんと敬語、尊敬語、謙譲語を話してますが。昭和天皇は転換期に生き、波乱に満ちた体験をした最後の天皇なんだなあと改めて思った。


 ロシア人が描く昭和天皇……。映画を見て一番感じたのは、非常に昭和天皇に好意的であることでした。実際、地下壕と御所で侍従たちにオーバーなほど敬意を払われて、かしこまれて、そういう扱いに戸惑いを見せ、「僕は神だというけれど身体は君たちとほぼ変わらないよ」と言ってみたり…。現人神として扱われることがいかに窮屈で苦痛であるかがにじみ出ていて、生物学に没頭する姿や、年取った侍従が土下座して食事を取ってほしいと頼むと困り果てたように「老人、立ちなさい」と言ったり、マッカーサー会見の後の苛立ちが隠せずつきまとう侍従の頭をぺしっと叩いて「ひとりにしてください」と言う場面とか、「極地研究所の所長」(天文学者?)を呼んで明治天皇が見たという極光(オーロラ)について話したいという時のわくわくした顔など見ていると、本当に愛らしく思う。崩御前数少ない映像で見た昭和天皇の印象と変わらない。


 所長に「陛下、明治天皇が見た光は極光ではあり得ません。それが見えるのは地球の軸の端(北極と南極)でしか見られないのです」みたいなことを言われて、少しだけ動揺を見せる天皇。「あの話を思い出すたびに不安になるのです」という時の天皇の顔に、これからの自分や家族や日本がどうなるかへの不安が滲み出る。


 しかし、冒頭の数十分くらいは退屈しました。天皇のごくごくプライベートな日常(食事の風景やら着替えやら)をひとつひとつ綿密に丁寧に見せていくのはいいんだけど、あまりに長々と、そして淡々と続くんでちょっと眠くなったりして…。でも、着替えそのものは、天皇がスケジュールによって立場が違うことを象徴するいい手法だなあと思った。御前会議に出る前はボタンが何十個もある軍服に着替え、その後自分の研究室に行くと白衣を着て、マッカーサーと対面する時は山高帽にモーニング姿。それ見てるだけでも天皇の立場の複雑さと重責さが伝わる。


 もったりと進んでいた話に展開が見られやっと物語が進んでいくのは、進駐軍が現れてから。天皇が外に出て行くと、アメリカ兵が庭にいる丹頂鶴を追い掛け回している。悠然と歩く丹頂鶴に天皇は山高帽を取って敬意を表する。こういう細やかな描写に、監督の天皇観が滲んでます。実際、誰に対面する時もほどんと態度は変わらず、天文学者が腹を空かせているだろうと慮って進駐軍からもらったチョコレートを渡させたり。


 全体的に飄々とした風情であるのに、じんわりとその裏にある昭和天皇の苦悩と不安が伝わってくる。そこがすばらしいと思いました。特に夕寝をしている時に見る悪夢の映像は見事。空からたくさんの魚が降ってきて、ひれのある飛行機がいつの間にか魚のようにくねって空を泳いで襲ってくる。そしてその下の街は一面火の海…。東京大空襲の映像をあんなふうに美しく、そして恐ろしく描いた監督のセンスはすばらしい。


 そして、最後の最後、疎開していた皇后が戻ってきた時に見せる無邪気な喜び…。ぎこちなく手を取って、そっと皇后の肩に額をつける。それから「私はね、もう神ではない。この運命を拒絶した」と伝えた後の会話があまりに微笑ましくおもしろく、愛らしかった…。皇后は特に嘆くこともなくにっこりと、「そうだと思いました。何か不都合がございましたか」と聞いて、天皇が「おおむね不便だからね。よくないよ」と答える。この会話の間中、映画館にほのぼのする笑い声があちこちから聞こえました。私も、ひとりの人間として、たまたま神の末裔として生まれてしまった天皇の素の姿、素直な感じ方があまりに愛らしく笑ったくちです。そりゃ神様扱いされて生きるのって不便だよね……と。


 御前会議で最後まで本土決戦をと迫る陸軍士官に対して、天皇は「四方の海みな同胞と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」という明治天皇の歌を出してその意味を閣僚たちに問う。「何故こういう戦いをしなければならないのか」とやんわりと疑問を出し、「明治天皇はいかなる代価を払ってでも平和を獲得するようには進言されなかった」と言い、でも、自分の決断を押し付けることは不可能であることを自ら知っていて、最後に「四方の海は……まだ乱れるがよい」としめくくって、硬い表情のままその場を去る。御前会議の描写は非常に短いのだけれど、ここにも苦悩は表現されている。


 長いこと説明してしまいましたが、このように、このロシアの監督は驚くほど昭和天皇に好意的です。意外でした。そして、生きている昭和天皇を見たことがある人間にとっては、ああ、昭和天皇ってこんな話し方してたなあ。愛らしいとこあったなあと思ったりする。戦争責任についても本人は覚悟していたと思うし、マッカーサーとの会談で「自分はどうなってもいい」と言ったとか言わなかったとか、真実はわかりませんが。この映画では淡々と「そちらの決定に従います」とだけ答えてる。マッカーサーの「何故家族を疎開させたままなのか」という問い対して、「広島に原爆を落としたBeast(怪物)に残虐な行為をされると思ったからです」と答える。本当にこんなことを昭和天皇が言ったのかどうかはわからないけれど……。言っていたとしたらいいなあ。


 あまりに起承転結のない演出に序盤眠りそうになったけど、一日経ってしみじみと昭和天皇が潜り抜けた時代のことやら、決して表に出さなかった不安や苦悩がしんみりとよみがえってきます。最後のシーン。皇后が帰ってきて子供たちと対面する嬉しい瞬間に、ふと足を止めて「人間宣言」を録音した少年技師はどうしていると聞く天皇。「自害しました」と侍従の短い返答に天皇は一瞬間をおいて「…止めたんだろうね?」と聞く。「いいえ」と目を合わせずにきっぱりと答える侍従長。沈黙。皇后の不安な顔。くすくすと笑ってしまうような場面の後に、さらりとこういう会話を入れる。本当に細やかに、人間・昭和天皇を描きたかったんだなあと思う場面です。


 最後に焼け野原の東京の遠景と共にわずかに聞こえる玉音放送。この映画は特に何かを強く主張する映画ではないのだなあと思います。淡々と昭和天皇を描きたかった。それも公で見る天皇ではなく、ごくごく身近な人にしかわからなかった天皇像。見終わった私の心には、痛々しくも無邪気で、神としてうやうやしく扱われることに嫌気がさしていて、終戦後は死を覚悟しつつマッカーサーと対面し、家族をなんとか守ろうとしたひとりの人間というか男性、昭和天皇への愛着が残りました。そのくらいこの映画で描かれる天皇は愛らしい(晩年しか知らないけど本物の昭和天皇も愛らしかったですが)。この映画には一切のイデオロギーが介在する余地はないと思います。これは現人神として生きる定めを持って生まれ数奇な出来事の中心に置かれるしかなかった、ひとりの人間を静かに淡々と描いた映画でしかないと思います。私は好きです。これは日本人には作れないですね……。だからこそよかったのかも。