『犬神家の一族』の余韻
見終わって3日目でも思い出すとつい笑いがこみあげてしまってた『犬神家の一族』のことを、今日も時々思い返していました。なんであんなに爆笑しちゃったんだろうと…。
最初見始めた時は、「…え、こんな古臭い演出だったっけ?」という戸惑いと、どうにも間の悪い台詞やらテンポに、「さあて、困ったな。最後まで見られるだろうか…」という不安が芽生えてました。
まず最初のシーン。村にある犬神家の家を遠くから映しただけで特にズームするでもなく終わり、その後すぐに犬神家の屋根から下にカメラがスクロールしていく。が、それがすごく中途半端なところで切れて、次は廊下をカメラがズームしていく。それも途中で切れて部屋の中で臥せっている仲代達矢のアップ。この導入部からもう落ち着かなくて落ち着かなくて。なんでカメラをずっとスクロールし続けて部屋までなめて行くようなシークエンスじゃないんだろうと…。シーンが切れて次に行く度に気持ちが萎える。
これはきっと、私があまりにハリウッド映画の手法に慣れきっているせいかなあと、今日思いました。だいたい導入部のシーンで俯瞰から入る場合は、カメラはそのままズームして行き、メインの建物があれば屋根から部屋の中まで切れることなくきれいになめていくことが多い。記憶に新しいのでは『シークレット・ウィンドウ』のカメラ。あれはすごかった。コテージの庭から屋根裏の窓に入り、そのまま家の中を映し、階下に降り、寝ている主人公のアップまで切れ目無し。あと鏡を映してそのまま鏡の向こう側まで突き抜け、すべてが反転した状態の部屋を撮るシーンもあった。なにこれどうやって撮ったの!?って驚いたくらい。まあCG処理でうまくやってるんでしょうけど。
そういうカメラワークに慣れてしまうのも問題なのかな…とふと思ったり。ジム・ジャームッシュが出てきた頃、あのカット割りが新鮮だと感じたのも、同じ原因かも。あれはあれですごく良かったんだけど。普段映画見てると、ついすべるようなよどみないカメラの動きを期待してる自分がいます。それゆえに『犬神家の一族』には最初から「あれれれれ」と思ってしまったんだけど、改めて思うと、あれはあれで味なんでしょうね…。いろいろなレビューを見ていると、私みたいに笑った人もいるけれど、感銘を受けている人たちも当然いるわけで。横溝ファンだとは思うのだけど…。あんなに爆笑して見た私って、悪い鑑賞者かな…?ってふと思ったりしました。