小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

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 バラバラ殺人多すぎ…

 今年に入ってからバラバラ殺人事件の話題ばかりで背筋が寒くなった人は多いと思います。なんでこんな多いんでしょう…。普段ホラーやらグロいサイコキラーものやらCSIみたいにえぐい死体を扱う映画やドラマが好きな私でもさすがに現実でこういうのがあると気持ち悪い。死体を切り刻む時というのはいったいどういう精神状態なんでしょう…。猟奇的な意味で切り刻むのはサイコパスだけど、女性が犯人の場合は単に死体処理で運搬するのに切り刻むしかなかったというのが理由なんだとは思うけど…。雑誌の記事やらテレビのニュースで克明に説明されるたび暗鬱とした気持ちになるし、なんだか身体中が痛く感じたりします。


 まあただ死後に身体を刻まれるのなら痛みはないから、私が殺される側になったとしてもまだましかなとは思う。それより虐待されたり拷問されてから殺されるのは嫌だ…。特に刃物が怖い。『SAW』を見た時は映画館でうぎゃあとうめいてしまいましたよ。ただしあの映画は最後にとっても楽しいオチ(最高!)があるので楽しかったですが、そういう楽しそうなオチはなくてただただ痛そうな『SAW2』や『SAW3』はまだ見る勇気が出てきません。


 バラバラ事件は痛ましいけれど、でも心をえぐられるようなつらい事件はなんと言っても子供が犠牲者の場合。未だに忘れられない去年九州で起こった事故。幼い子供3人を乗せて橋を渡っていた乗用車に酒酔い運転のワゴン車が突っ込み、家族を乗せた乗用車はそのまま橋の欄干を突きやぶって海の中に落ちてしまった。前の席にいた両親は車から脱出。しかし後ろの席にいる3人の子供たちを乗せたまま車がどんどん沈んでいく。そこで、お母さんが沈む車を追いかけて海に潜り、まずひとり助けて立ち泳ぎしてる夫に託し、またもぐってふたりめも車から救助してその子も夫に託す、そして最後のひとりを助けるために再度海に潜ったものの、もう車は海の底に沈んでしまって助けられなかった…。その上、助けたふたりの子供たちもワゴン車にぶつかった時にすでに死亡していたそうです。ご両親は一気に3人の幼い子供たちを失ってしまった…。あまりにもむごい事件です。


 この記事を読んだ時、気の毒で気の毒で涙が止まらなくなりました。今でも忘れられません。思い出す度ご両親はいったいどうされているのかと思う…。立ち直れるわけもないですよね…。お母さんの勇敢な行動を思うたび今も涙が出ます。親は子供のためならなんだってできるてのは当然なんだろうけれど。しかしその行動を持ってしても子供たちを救えなかったなんて…。この世の中で、何が一番残酷かって、それは子供を失うことでしょう…。親より先に子供が死ぬことほど悲しいことはない。愛情いっぱい注いで育てた子ともを一瞬にして失うなんて…。その後どうやって生きていいのかさえわからなくなりそうです。数日前NHKのある番組を見てて、15歳の娘さんをなくされたある弁護士さんが「子供の骨を拾うなんて地獄以下です…」と言って言葉をつまらせてました。私も胸がつまって息ができなくなった…。弁護士さんは長いこと泣くこともできずただただ茫然自失だったんだろうなと思います。


 世の中進行中の事件とはまた別に、去年の暮れ、クリスマスに久しぶりに死刑執行が行われましたね。死刑執行の記事を読むとどんな極悪な犯罪者でもなんとなく陰鬱な気分になります。自分も法治国家の国民のひとりだから死刑執行に少なからず加担してるわけだから。決して気持ち穏やかではない。でも死刑囚たちに殺された人たちは弁明の余地もなく、抵抗も空しく、一方的に一番大事な人権を奪われたわけだから、死刑前に裁判を受け弁明もできる死刑囚はまだ人権が尊重されてる。と同時に法律に則った合法なものではあるけれど、死刑とは国家(国民)が行う殺人であるし、処刑前の死刑囚の気持ちを想像するとさすがに「ざまあみろ」なんて気持ちにもなれない。やっぱり間接的に人殺すようなものだからずんと重い気持ちにはなります。


 …それでも、死刑執行された死刑囚たち、まだ執行されてない死刑囚たちの罪状が書かれた資料などをネットでひとつひとつ読むと、やっぱり怒りがわいてくる。その中には押し入った家で主婦に乱暴をし、泣いてうるさいからと幼子も刺殺し、他の子供や家族も次々に殺していったとか凄惨極まりない犯罪だったりする。死刑囚の中には70歳を越える老齢の人もいたけれど、罪状を見るとやはり私は「人道的な見地による死刑反対」という気持ちにまでは行けません…。被害者遺族のことを思うと罪を償ってほしいと思う。


 最近知りましたが今拘置所にいる死刑確定者は100人近いそうな。それでも再審要求が出されていたり、あまりに昔の事件で冤罪の可能性が高いと見られる者は30年以上も執行されないままそこにいたりする。帝銀事件の平沢貞道も結局獄死。確かに冤罪の可能性がある限りは法務大臣もサインできないでしょうけど…。一応法律では死刑確定後(共犯の判決が確定してない場合を除き)半年以内に死刑執行をすることになってるんですよね。ということは歴代の法務大臣は法律違反をおかしているってこと。そうかといってほいほい100人分執行命令書に判子押せる大臣もいないですね……。難しいなあ。


 といろいろ、去年のクリスマス以降、死刑囚のことやら、死刑執行の場合の拘置所内のレポなんかをネットで読んだりしてて、本当にいろいろと複雑な気持ちになってました。未だに冤罪の可能性が高いと言われる毒ぶどう酒事件の裁判記録まで読んだりもした…。冤罪で死刑執行だけは怖いですが、こういう冤罪の可能性が全くない犯罪で幼い子供などでも容赦なく殺している事件記録なんて読むと、やっぱり死刑を容認してしまう私がいます…。昔あった、女子高生監禁の上に何週間も壮絶な拷問を続け最後に死体をコンクリートに埋めた事件の犯人たちなんてほぼ全員が刑務所から出ている。信じられないです。そのうちの何人かは地元で普通に暮らし結婚し、スナックなどで武勇伝のごとく事件のことを話してるとかいう話も耳にします。そういうの聞くと怒りでいっぱいになって「なんで死刑にしないの!?」って思ってしまう…。私には陪審員はできないなあ…。


 死刑反対がテーマの『デッドマン・ウォーキング』というショーン・ペンスーザン・サランドン主演・ティム・ロビンス監督のいい映画がありますが…。あれを見た後でも私は死刑反対の立場に行けなかった…。先進国の多くが死刑廃止に向かっている時代だけれど…。死刑囚の気持ちにも感情移入はできるのだけれど…。助けを求める術もなく突然に命を奪われた被害者たちの人権は死んだ後はないものという合理的な考えに行き着けない自分がいます。普段はかなり合理主義者だとは思うのだけど…。やはり情緒が勝ってしまう…。


 何を書きたいのか自分でもわからなくなってきたんですが(汗)、とにかく、日本は犯罪件数自体は減ってきているらしいですが、犯罪の質が変わってきていて猟奇的なものが増えていますね。あの永山則夫が『無知の涙』で書いたように昔は想像を絶する貧困が動機の殺人事件もあったし、子供の時に虐待されたとか、社会的な重圧や差別などが原因で起こしたと弁論する犯罪者もいるけれど、最近の殺人事件は動機が謎だったり発作的なことだったり、快楽的殺人などが多い…。


 サイコ殺人は映画で見るぶんには楽しんでいられるけれど、こうもあまりに身近なところで次々と猟奇的な殺人事件が頻発すると生々しくて、映画なんて怖くもなんともなくなっちゃいますね…。しかし! 私が一番気になるのはマスコミの犯罪被害者に関する報道の相変わらずのひどさ。昔、茨城で妻子3人を殺して海に捨てた夫の事件でもマスコミは妻の素行を毎日のように詮索したり噂を報道してました。東電OL事件なども被害者だというのにすべてのことを暴かれ、死者の尊厳を踏みにじるような報道でした。今回も兄に殺された女子大生についての報道もひどい。被害者の素行が殺人に値するほどひどかったと証明できるのならまだしも、ただの野次馬的興味での報道としか思えない。犯罪被害者は殺された後も何度も何度も殺されるんですね……。嫌な世の中です。人間てもろいなって思う。