小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

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「ハドソン川の奇跡」 原題 「Sully」

ハドソン川の奇跡」★★★★★

機長、究極の決断 (静山社文庫)

機長、究極の決断 (静山社文庫)

 【一部、書き直しました。入れ込むあまり、内容に深く関わる部分、結果を先に書いていました。そこは、もっと詳しく、以下ネタバレ として、書き加えました。】
クリント・イーストウッド監督作品。レンタルで見ました。すばらしかった。今、世界に必要なのは、こういう物語ではないかなと思いました。

 まず書きたいのは、日本の宣伝文句「155人を救って容疑者になった男」って、思い切りミスリーディング…。違うでしょう。 …この宣伝文句があったから映画館で見たい気持ちにならなかった…。罪だ…;;

 「とてもすばらしい行いをした人が、実は……」って思わせるところが、非常に嫌な感じ。感動して、その後がっかりさせられるのか……ってそんな先入観を持ってしまう。そんな映画なら見たくない。と思う。夫も「よこしまな気持ちで見始めてしまった…」とつぶやいていました。誰でもそう思うでしょう。こんな宣伝文句では…。

 それでも見たのは、監督が、クリント・イーストウッドだからです。そうじゃなかったら、この宣伝文句でこの映画を見ることもしなかったと思う。

 容疑者扱いになどなっていません。

 裁判沙汰などもありません。


 原題を見てください、実際に飛行機を操縦していたサレンバーガー機長の愛称です。監督が何故このタイトルを付けたのかを宣伝の方は汲み取ってくれなかったのでしょうか。… と書いてから気づいた。原作があるのでした; アメリカでは誰もが知っている方。日本ではあまり知られていないようなので、宣伝の方も悩んだのでしょうか?? にしても……。

 映画は、では、その「サリー」とは、どういう人なのか、そして、その場にいた全ての人たちがどのように行動したか、を追います。その中で、機長の苦悩を描きます。「あの判断は、果たして適切だったのか?」という問いかけが、一貫してなされます。調査も入ります。事故を検証する調査であり、責任があるかどうかを問われます。(これが容疑者って意味?? 違うけど) …機長の苦悩は計り知れません。


 書いていて、なんだか情けない気持ちになります。映画を見終わった時は、驚きと怒りにさえなります。こんな素直にすばらしいと思える話なのに、機長の苦悩がどれだけ重くかつ重要か、わかるのに……。変な先入観を持たせて、感動してくれるであろう人たちを遠ざけたんではないかと、そこまで思いました。

 80歳を超えてもまだ映画制作をするクリント・イーストウッド監督もまた「奇跡」のような存在。俳優の時よりも監督になってからのほうが、この人を深く尊敬するようになりました。どの映画も、常に残酷で冷徹な事実を突きつけてくる。嫌な終わり方の映画も多い。それは監督の意思でありメッセージとして、いつも受け止めていました。現実はお前が思うような終わり方などしない。いつもそう言われているような気がしていました。でも、そういう現実の中に、救いはあるのだろうか、何か、自分がみつめるべき場所があるのではないか…と思わせてくれます。

 そんなクリント・イーストウッド監督。ご高齢になってきて不安です。クリント・イーストウッドだけは200歳まで生きて、常に映画を作り続けて欲しい人です。お願い、ずっと作り続けてください…と祈りたくなるほど尊敬しています。監督ご自身もご自分の年齢を考えているでしょう。ご高齢になったクリント・イーストウッド監督が、この映画で伝えようとしたのは何なのか、それが見たくてレンタルしました。

 そして、とても温かい気持ちになれました…。やっと、とても優しい現実を見せてくれました…。人間が互いに思いやり、一致団結した時、奇跡は起きるのだと、実際に起きたのだと、今までの映画とは違う、本当に安らかで優しく人間をみつめている作品です。嬉しかった…。

 今、世界を見ると、誰もが声を上げて誰かを非難したりしている。罵り合う様ばかりが目に入ってくる…。そんな時に、この映画を見たから……救われました。

 人の命を預かる仕事、それをこなしていく人たちは、常により良い判断を要求されます。「最良」の判断かどうかはわからない、でも全力を持ってして、より良い判断をしようとする。行動する。そして、たとえ成功したとしても、その後でもさらにプロフェッショナルは考え続ける。「果たしてあれは正しい判断だったのだろうか」と…。それはとても厳しい問いかけであり、深い苦悩となります。その問いかけと、仕事に着くと同時にあらゆる過去の例を研究し、学んで身につけてきた知恵が、必要な時に活かされる。

 すばらしい映画です。思い出すだけでも温かくなります。人間が嫌いになりかけた時に、この映画を見たら救われると思います。私は、そう思いました。ありがとう。クリント・イーストウッド監督。



           ★★★★★  以下  追記とネタバレ注意  ★★★★★





 私が一番感動したシーン…。救助された後、ずっと機長は生存者の数を気にします。混乱の中、いろいろな病院に運ばれる搭乗者やクルー。機長が病院内で、「生存者の公式数だ、155人だ」と伝えられます。その時の機長の表情…。全員無事だった…! 機長は、「155人」とただ確認するのみ。でも、その時の安堵感は、たぶん当事者でしかわからないものだと思いますが、そこだけで、私も安堵して、機長の心中に共鳴して泣いていました。

 最後のシーンも感動的です。調査委員たちは、「危険な水面着陸をしなくても、近くの空港に向かっても無事着陸できたのではないか」という疑問を持ちます。そして機長もまた、その問いと深く向き合います。ずっとずっと悪夢のような「失敗した場合」を想像して(実際、事故経験者はPTSDの症状で悪夢を見るようです)、苦悩します。でも、最後の最後に、公の場で、何百人もの人たちの前で、ブラックボックスの会話を聴きます。

 それを聴いた、調査員全員が黙り込む…。そして、調査委員が機長に言います。「私は、(生存している)機長と副操縦士の方と一緒にブラックボックスを聴くのは初めてでした」と。この言葉は、飛行機事故はほぼ全員が死んでいる状況がほとんどであることを意味しています。調査委員はやっと理解するのです。サリー機長の判断がいかに適切で、それしかないものであり、あの着水は、この人でなければできなかったと理解する。

 終わり方が、ふっと終わる。映画的な終わり方ではなく、ドキュメンタリーのような終わり方をします。今までの監督の映画おの作り方とは全く違います。でも、やっと救われたような表情で機長と副操縦士が見つめ合うのが、とても好きです。


 他のレビューを読んでいないのですが、Twitterである方がツィートしていた部分を読んで、なるほど、そうなのか! …と思ったので追記。

 「 機長が一人で悶々と悩み苦しんでるシーンが、具体的な言葉は出て来ないから、解釈が割れるっていうか、アマゾンレビュー見たら「あれらのシーンいらない」って人まで…。私はあのへんがキモで素晴らしいと思ってんだけどね^_^; 」

 映画では、生還した後に事故を調査する審問会が開かれます。「機長の判断は適切だったのか?」という。それを待つ間、機長が見る幻覚のようなシーンが時々挿入されます。それのことだと思うのですが、そのシーンがいらないと言う方もいらっしゃるのですね…。 

  あれらのシーンは、事故の責任者である人が事故の後に襲われるPTSDの症状だと思います。数ヶ月、または数年と続くらしいです。実際、レンタルについてきたドキュメンタリーを見ると、機長は、悪夢にうなされ続け、数日で6キロも痩せて放心状態だったと語られています。その部分と、幻覚のようなシーン(結局失敗して飛行機が大破するという悪夢)。私はあれらのシーンがあるからこそ、命を預かる仕事をする人の責任の重さが伝わってくると思いましたが…。むしろ、あれがあるからこそ、調査の段階で行われるシミュレーションを見て、失敗した場合の現実的な状況を見る側に想像させてくれます。あの幻想シーンがなかったら、シミュレーションでの失敗の恐ろしさが伝わらないと思うのですが…。

 常に自分に問いかけ続ける。「果たして、自分の判断は適切だったのか、もしかしたら私は。不必要に搭乗者を危険に晒したのか? 判断間違いをおかしたのか?」と、機長は苦しみます。その苦悩の深さと事故の後の苦しみ方が非常に伝わってきます。「間違っていれば、ああなったかも、こうなったかも…」という幻覚シーンは、当事者だったら…と思うと、その恐怖は計り知れないもので、私は特に違和感なく受け止めましたが…たぶん、映画を見る人たちによっては、混乱するシーンなのかもしれません。私は、それが機長の心の中を表すという意味では重要かつ必要と思いましたが…。というか、その苦悩こそ、監督が描きたかったんだと思います。

 これほどに仕事に対して真摯で忠実で真面目な方はいないのではないかと思うほど、すばらしい方でした。サリー機長。そして、そのクルー全員、この奇跡に関わった全ての人を尊敬します。そこに居合わせた全ての人たちの協力があったからこその「奇跡」だと思いました。