小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

公式ブログからこちらに引っ越し。試用期間中です。

 Something Good 何か良いこと


 最近、親しい人との交流さえ普通にできなくなっています。 毎日が家族と老猫の世話で終わる。SNSを覗く余裕もなく、1年以上ほったらかしでした…。

 なので、Facebook で、状況を少し書いて、「今の私は、疲れすぎていて、社交的になる自信がありません。SNS は今の私にとっては難しい道具…。でも、ちゃんと生きているし、なんとかやっています ( I am now very tired, I am not confident to be social... SNS seems like a kind of difficult tool to me. Sorry for my not being social.. but I am alive and doing okay.)

 と、投稿しました。これからもしばらくFacebookで何かを書くことができないという意味を込めて…。
 そしたら、しばらくしたある日。アメリカの知り合いからメールが来ました。MM(仮名)とします。彼女とは趣味が同じで、たまたま知り合って何年もかけていろいろなことを語り合って仲よくなった人。何故かわからないけれど、普段言えないことも彼女には語ることができます。数え切れない人と知り合ってメールを交わすけれど、「友達」と言えるようになれる人は、本当に数人、いや、2,3人かもしれません。行間を読んでくれる人はなかなかいない。私と同じものに反応して、同じように落ち込んだり喜んだりする。ーー彼女はそういう人です、そして、まっすぐな答えをくれる人。どこか似ているのかもしれません。

 それと、アメリカでしか買えない、私の趣味のものを、彼女に頼んで買ってもらって、たまに送ってもらっています。最近も彼女がそれを箱に詰めて送ってくれたばかり。彼女からのメールを読んで、思わず涙がこぼれました。思いやる心に満ちあふれていたからです。返信に、私の好きな曲、(子供の頃、初めて見たミュージカル映画、「サウンド・オブ・ミュージック」 の中の「Something Good」という曲の歌詞を、彼女への気持ちとして貼り付けて送りました。……そしたら、1行の返信が来ました。…とても素敵な返信でした……。

 不思議だなと思うのは、「今、なんとか息をして乗り越えようとしているもの、それをしたら、いつか良いことが巡ってくる。そこで踏ん張って!」と彼女は書いているのですが、そういう考え方は日本的かなと思っていました。でも考えれば、あの映画の曲の歌詞も、まさにそういう意味だった…。人間は同じようなことを思うのかな。

 「今、目の前で、あなたが私のことを愛してくれている、きっと、だめな子供の頃か、みじめな若い頃に、何か良いことをしたのかもしれない……。無からは無しか生まれない。決して何も生まれない…。(何もしなければ、なんの結果も出ない、というような意味)だから、きっと昔、いいことをしたに違いない」
  …そんな意味の歌詞です。

 彼女との短いメールのやりとりだけで、一日、幸せな気持ちになれました。具体的な中身はないので、書き留めておきたく…。そのまま下にやりとりを貼り付けます。彼女の言葉ひとつひとつに、これからも励まされるでしょう。友達ってありがたいなあ。

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Hi Mitsuko,
I saw something you had written on Facebook and I have been thinking about you. I hope you are feeling a little better. Sometimes I get very depressed over a lot of things but I know by now that it passes and things get better. You have too much weight on your shoulders and you need to concentrate on just breathing and getting through the day. Time will pass and you will be paid back for all the things you do. Just hang in there and do your best. You are lucky that you have music. I hope things get better for you soon.
If you haven’t gotten it yet you should receive your box from me soon. That usually cheers you up a little.

Best regards,
MM

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MM..... my dear, you surprised me..

Your message is the sweetest thing I have ever had....even made me weep... ; ;
Yes, I will receive the box from you, that is what I think I am lucky.. :)
Thank you so much for sending the package for me......

I paste this lyrics to send my love to you... I love this song, and still sing it sometimes....


Perhaps I had a wicked childhood
Perhaps I had a miserable youth
But somewhere in my wicked, miserable past
There must have been a moment of truth

For here you are, standing there, loving me
Whether or not you should
So somewhere in my youth or childhood
I must have done something good

Nothing comes from nothing
Nothing ever could
So somewhere in my youth or childhood
I must have done something good
So somewhere in my youth or childhood
I must have done something good


Hugs,
Mitsuko

                                                                                                          • -

I think you are doing something good now!

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(*゚ー゚)

「ハドソン川の奇跡」 原題 「Sully」

ハドソン川の奇跡」★★★★★

機長、究極の決断 (静山社文庫)

機長、究極の決断 (静山社文庫)

 【一部、書き直しました。入れ込むあまり、内容に深く関わる部分、結果を先に書いていました。そこは、もっと詳しく、以下ネタバレ として、書き加えました。】
クリント・イーストウッド監督作品。レンタルで見ました。すばらしかった。今、世界に必要なのは、こういう物語ではないかなと思いました。

 まず書きたいのは、日本の宣伝文句「155人を救って容疑者になった男」って、思い切りミスリーディング…。違うでしょう。 …この宣伝文句があったから映画館で見たい気持ちにならなかった…。罪だ…;;

 「とてもすばらしい行いをした人が、実は……」って思わせるところが、非常に嫌な感じ。感動して、その後がっかりさせられるのか……ってそんな先入観を持ってしまう。そんな映画なら見たくない。と思う。夫も「よこしまな気持ちで見始めてしまった…」とつぶやいていました。誰でもそう思うでしょう。こんな宣伝文句では…。

 それでも見たのは、監督が、クリント・イーストウッドだからです。そうじゃなかったら、この宣伝文句でこの映画を見ることもしなかったと思う。

 容疑者扱いになどなっていません。

 裁判沙汰などもありません。


 原題を見てください、実際に飛行機を操縦していたサレンバーガー機長の愛称です。監督が何故このタイトルを付けたのかを宣伝の方は汲み取ってくれなかったのでしょうか。… と書いてから気づいた。原作があるのでした; アメリカでは誰もが知っている方。日本ではあまり知られていないようなので、宣伝の方も悩んだのでしょうか?? にしても……。

 映画は、では、その「サリー」とは、どういう人なのか、そして、その場にいた全ての人たちがどのように行動したか、を追います。その中で、機長の苦悩を描きます。「あの判断は、果たして適切だったのか?」という問いかけが、一貫してなされます。調査も入ります。事故を検証する調査であり、責任があるかどうかを問われます。(これが容疑者って意味?? 違うけど) …機長の苦悩は計り知れません。


 書いていて、なんだか情けない気持ちになります。映画を見終わった時は、驚きと怒りにさえなります。こんな素直にすばらしいと思える話なのに、機長の苦悩がどれだけ重くかつ重要か、わかるのに……。変な先入観を持たせて、感動してくれるであろう人たちを遠ざけたんではないかと、そこまで思いました。

 80歳を超えてもまだ映画制作をするクリント・イーストウッド監督もまた「奇跡」のような存在。俳優の時よりも監督になってからのほうが、この人を深く尊敬するようになりました。どの映画も、常に残酷で冷徹な事実を突きつけてくる。嫌な終わり方の映画も多い。それは監督の意思でありメッセージとして、いつも受け止めていました。現実はお前が思うような終わり方などしない。いつもそう言われているような気がしていました。でも、そういう現実の中に、救いはあるのだろうか、何か、自分がみつめるべき場所があるのではないか…と思わせてくれます。

 そんなクリント・イーストウッド監督。ご高齢になってきて不安です。クリント・イーストウッドだけは200歳まで生きて、常に映画を作り続けて欲しい人です。お願い、ずっと作り続けてください…と祈りたくなるほど尊敬しています。監督ご自身もご自分の年齢を考えているでしょう。ご高齢になったクリント・イーストウッド監督が、この映画で伝えようとしたのは何なのか、それが見たくてレンタルしました。

 そして、とても温かい気持ちになれました…。やっと、とても優しい現実を見せてくれました…。人間が互いに思いやり、一致団結した時、奇跡は起きるのだと、実際に起きたのだと、今までの映画とは違う、本当に安らかで優しく人間をみつめている作品です。嬉しかった…。

 今、世界を見ると、誰もが声を上げて誰かを非難したりしている。罵り合う様ばかりが目に入ってくる…。そんな時に、この映画を見たから……救われました。

 人の命を預かる仕事、それをこなしていく人たちは、常により良い判断を要求されます。「最良」の判断かどうかはわからない、でも全力を持ってして、より良い判断をしようとする。行動する。そして、たとえ成功したとしても、その後でもさらにプロフェッショナルは考え続ける。「果たしてあれは正しい判断だったのだろうか」と…。それはとても厳しい問いかけであり、深い苦悩となります。その問いかけと、仕事に着くと同時にあらゆる過去の例を研究し、学んで身につけてきた知恵が、必要な時に活かされる。

 すばらしい映画です。思い出すだけでも温かくなります。人間が嫌いになりかけた時に、この映画を見たら救われると思います。私は、そう思いました。ありがとう。クリント・イーストウッド監督。



           ★★★★★  以下  追記とネタバレ注意  ★★★★★





 私が一番感動したシーン…。救助された後、ずっと機長は生存者の数を気にします。混乱の中、いろいろな病院に運ばれる搭乗者やクルー。機長が病院内で、「生存者の公式数だ、155人だ」と伝えられます。その時の機長の表情…。全員無事だった…! 機長は、「155人」とただ確認するのみ。でも、その時の安堵感は、たぶん当事者でしかわからないものだと思いますが、そこだけで、私も安堵して、機長の心中に共鳴して泣いていました。

 最後のシーンも感動的です。調査委員たちは、「危険な水面着陸をしなくても、近くの空港に向かっても無事着陸できたのではないか」という疑問を持ちます。そして機長もまた、その問いと深く向き合います。ずっとずっと悪夢のような「失敗した場合」を想像して(実際、事故経験者はPTSDの症状で悪夢を見るようです)、苦悩します。でも、最後の最後に、公の場で、何百人もの人たちの前で、ブラックボックスの会話を聴きます。

 それを聴いた、調査員全員が黙り込む…。そして、調査委員が機長に言います。「私は、(生存している)機長と副操縦士の方と一緒にブラックボックスを聴くのは初めてでした」と。この言葉は、飛行機事故はほぼ全員が死んでいる状況がほとんどであることを意味しています。調査委員はやっと理解するのです。サリー機長の判断がいかに適切で、それしかないものであり、あの着水は、この人でなければできなかったと理解する。

 終わり方が、ふっと終わる。映画的な終わり方ではなく、ドキュメンタリーのような終わり方をします。今までの監督の映画おの作り方とは全く違います。でも、やっと救われたような表情で機長と副操縦士が見つめ合うのが、とても好きです。


 他のレビューを読んでいないのですが、Twitterである方がツィートしていた部分を読んで、なるほど、そうなのか! …と思ったので追記。

 「 機長が一人で悶々と悩み苦しんでるシーンが、具体的な言葉は出て来ないから、解釈が割れるっていうか、アマゾンレビュー見たら「あれらのシーンいらない」って人まで…。私はあのへんがキモで素晴らしいと思ってんだけどね^_^; 」

 映画では、生還した後に事故を調査する審問会が開かれます。「機長の判断は適切だったのか?」という。それを待つ間、機長が見る幻覚のようなシーンが時々挿入されます。それのことだと思うのですが、そのシーンがいらないと言う方もいらっしゃるのですね…。 

  あれらのシーンは、事故の責任者である人が事故の後に襲われるPTSDの症状だと思います。数ヶ月、または数年と続くらしいです。実際、レンタルについてきたドキュメンタリーを見ると、機長は、悪夢にうなされ続け、数日で6キロも痩せて放心状態だったと語られています。その部分と、幻覚のようなシーン(結局失敗して飛行機が大破するという悪夢)。私はあれらのシーンがあるからこそ、命を預かる仕事をする人の責任の重さが伝わってくると思いましたが…。むしろ、あれがあるからこそ、調査の段階で行われるシミュレーションを見て、失敗した場合の現実的な状況を見る側に想像させてくれます。あの幻想シーンがなかったら、シミュレーションでの失敗の恐ろしさが伝わらないと思うのですが…。

 常に自分に問いかけ続ける。「果たして、自分の判断は適切だったのか、もしかしたら私は。不必要に搭乗者を危険に晒したのか? 判断間違いをおかしたのか?」と、機長は苦しみます。その苦悩の深さと事故の後の苦しみ方が非常に伝わってきます。「間違っていれば、ああなったかも、こうなったかも…」という幻覚シーンは、当事者だったら…と思うと、その恐怖は計り知れないもので、私は特に違和感なく受け止めましたが…たぶん、映画を見る人たちによっては、混乱するシーンなのかもしれません。私は、それが機長の心の中を表すという意味では重要かつ必要と思いましたが…。というか、その苦悩こそ、監督が描きたかったんだと思います。

 これほどに仕事に対して真摯で忠実で真面目な方はいないのではないかと思うほど、すばらしい方でした。サリー機長。そして、そのクルー全員、この奇跡に関わった全ての人を尊敬します。そこに居合わせた全ての人たちの協力があったからこその「奇跡」だと思いました。

Where the hell were you "Activists" for the past 8 years?

 ツィートで、「今まで、西側諸国は散々イスラムの国を爆撃して人を殺してきて難民を作ってきたのに、難民入国規制のみで誰も殺していないトランプを世界中が罵る不思議」と書いたら、全く同じ主張の動画がYouTubeにあってびっくり。


 Where the hell were you "Activists" for the past 8 years?
 (イスラムの国が攻撃されて、たくさんの難民が生まれていた)過去8年の間、(リベラルという)アクティビストはどこにいた?

「実際にたくさんの悲劇が起きていて、たくさんの人たちが苦しんで、膨大な難民が生まれていた間、活動家はいったいどこにいた? 過去にイスラム諸国において、どんだけ爆撃が行われたか、それを見てほしい。( 2016年に米国が投下した爆弾の数、26.171個 などの図 )その時は黙っていて、今だけ声を上げる??」
てなことしゃべってまする。

  内容的には、オバマ政権批判が強いです。(秘密裏にイエメンを支援していてイエメンの攻撃で多数死亡、リビア対策 アルカイダ関連政策、などなど)。そこは言い過ぎだとは思います。そもそもブッシュ政権が始めたことだし。どっちの政党だろうがアメリカはアメリカ。(日本人の私から見たら)
 ただ、イスラム諸国から、何故多くの人たちが逃げようとしているのか? もう一度、そこから考えてみようよ、ってところは理解できます。私は特にトランプ支持ではありません。念のため。(ペンス副大統領は過去の政策を見て、強硬なキリスト教右派なので勘弁してほしい派です)ただ、世界中が大声をあげて現・米大統領を罵る、今の状況見ていて、なんだか腑に落ちないとは思っています。

 
If you only stand by your principles when someone you don't like is in power.. then you have no principles at all
 (自分が嫌いな人間が権力についた時だけ主義主張をする… ならば、あなたたちには主義主張など全くない)


 「オバマ政権下でもイスラムの国の人たちは同じ苦難に立たされていた。同じことをやっていたのに、なんでトランプの入国規制の時だけヒステリックに騒ぐのか。9.11以降から入国規制は始まっている」  




関連記事 : コラム:実は新しくない、トランプ大統領の入国制限令
(入国規制リストは過去の政権と同じ。イスラム圏でもサウジアラビア、エジプトなどは除外)

http://jp.reuters.com/article/vanburen-immigration-idJPKBN15I0E6?feedType=RSS&feedName=topNews&utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=Weekday%20Newsletter%20%282017%29%202017-02-06&utm_term=JP%20Daily%20Mail

【追記】 今回の入国規制で、今までよりさらに厳しくなった部分は記事を読んで欲しいです。過去に一度でもリストの国に入国した人は、どの国の人間であれ、審査が入ります。
 「恐怖」を道具にして政治を行うのは、誰もが簡単だと言う部分もあり、それは、トランプ大統領含め、9.11以降同じようなもの。アメリカは恐怖に囚われている。

 さらに関連記事(ロイターばかりですみません。FoxもCNNも苦手です)。
 コラム:米国よりも深い欧州「反イスラム」の闇

 誰でもわかることですが、欧州のほうが難民問題は深刻で、それに反応する右派、極右が台頭しています。支持も増えています。内容の中で、「右派を支持する人たちは、多くが教養がない人である」と根拠なく入っているところで、「?」となりますが(笑) その後で、「教育率が高い裕福な国、ノルウェイその他なども右派が強い」と言っているので、余計に「???」です…。どっちやねんっ。原文読んだほうが良いかも…。
 
http://jp.reuters.com/article/column-us-europe-anti-islam-idJPKBN15P0N5?feedType=RSS&feedName=topNews&utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=Weekday%20Newsletter%20%282017%29%202017-02-13&utm_term=JP%20Daily%20Mail

Destiny と Fate の違い

 ドラマ「魔術師マーリン」を見ていた時、「Destiny と Fate は違うんだ」というセリフが出てきました。

 日本語は、運命、宿命、さだめ、だいたい同じ意味です。英語ではこのふたつはニュアンスが違う。でもはっきりとした違いがわかりません。

 こういう時に役に立つアメリカ人の友達。何か疑問があるとすぐにメールして尋ねます。かれこれ30年近くの付き合いで、一緒に曲を作ったりもした、作詞家でもある友達、Lisa。彼女の説明は非常にわかりやすく、そしてすぐに答えてくれるのでありがたい友です。

 What is the difference between "fate" and "destiny"?? In Japanese, we have some words but all mean the same, like the path of life, or something you are supposed to do or to be.

と尋ねたところ、以下の答えがー。


"fate" and "destiny" are very similar in that they both refer to a future path. But fate has more negative connotations, i.e., "It is your fate to die young," whereas destiny is more positive - i.e., "You are destined to be a great musician!" Usually fate is something that happens to you, beyond your control, but you are born with a destiny to do or become something.

Does that make sense??


訳; Fate と Destiny は将来の道という意味では非常に似ている。だけど、Fate はもっと否定的な意味合いを持っていて、例えば、「君は若くして死ぬ運命」とか。これに反して、Destiny はもっと肯定的。 例えば、「君は偉大なミュージシャンになる運命だ」とか。通常、Fateは、自分のコントロールを超えて起きる物事、だけど、何かをする、または、なる(to be) 運命で生まれたって言う時は、どちらもDestiny.
以上の意味で通じるかな??


ーーーと言う説明をもらいました。

まあ簡単に言うと、Fate は否定的、悲劇的な意味で使われ、Destiny はより良い意味で使われるってことですね。

古い古い歌に、You are my destiny♪ てのがありますが、これはいい意味での「君は僕の運命」。恋人などの場合はほぼ Destiny が使われる。
Fate は、日本語だと、一番近いのが「宿命」なんでしょうか。否定的、悲劇的。

なるほど、そういうふうに使いわけているのね。


ということで納得できた私。

You really are a good teacher forever to me!!! Thanks!!
(ほんとに、私にとって永遠にいい先生!ありがとね)

と返したところ、

I'm happy to explain - and it also makes me have to think about it.
( 説明は楽しいし、自分もまたそれについて考えさせられる)

と言ってました。説明するということは、その言語について改めて考えること。日本語でもありますよね。そういう時って。

「魔術師マーリン」


「魔術師マーリン」 ★★★★

 子供向けのファンタジーです。主人公は、世界でも名だたる魔法使いとして書物にも残されている「マーリン」。マーリンは、キャメロットアーサー王に仕えたという。

 このドラマでは、マーリンはおじいさんの魔法使いではなく、若い王子アーサーと同い年くらいの青年。たまたたま生まれつき魔法を使うことができた少年がキャメロットにやってきて、彼の「運命」であるアーサー王と出会うところから始まります。

 子供向けなので、とにかく英語がきれいです。英語の勉強の教材になりそうなくらい誰もがきれいでわかりやすい英語を話すので、字幕要らないくらい。汚い言葉を一切使わない。そして映像でも酷いシーンもエロいシーンもなく、安心して見られる。子供の気持ちでマーリンとアーサー王の成長を見ることができます。とても純な気持ちで物語に入り込める。

 子供向けだからこそ、配役への配慮もあり。ポリティカリー・コレクトネス(政治的正しさ)として、アーサーの王の恋人グウェンは黒人の女性です。英国で生まれ育った白人以外の子どもたちが、王子様やお姫様が白人ばかりのお伽噺を読んでいたら夢見ることができなくなる。ディズニーもいつの頃からか、その点をかなり気を遣うようになりました。行き過ぎたポリティカリー・コレクトネス(たとえば、アファーマティブ・アクション)は社会的な弊害も生み出しますが、こういうお伽話ではこういう配慮はとても良いことだなあと思いました。

 おもしろいのは、このドラマのキャメロットは魔法縛りがあること。魔法だらけのお話なんだけど、キャメロットでは魔法禁止。良いことのためであっても魔法を使うことがわかったら即刻打ち首。その中でマーリンは自分の魔法の才能を隠しつつアーサー王子に仕える。しかし、アーサー王子や、その父ウーサー王を狙うのはことごとく強力な魔法を駆使してくるので、マーリンは隠れながらもそれと戦うことになります。

 最初は子供向けなので楽しく物語を見ていたのですが、シーズンを重ねるたびに、どんどん暗くなってくる…。そして最後のシーズンは、非常に息苦しく 裏切りの嵐でダーク。哀しみが多くなってきます。子供のような気持ちで見ていた私は、まんまとはまり込み、まんまと物語に翻弄され、どっぷりとマーリンに感情移入をして見ていました…。


 

       ★★★★★  以下  ネタバレ注意  ★★★★★





 とにかくマーリンがかわいいです。いじらしいです。魔法を駆使しつつアーサー王子を助けます。でも、剣の達人ではあるけれど、性格は単純思考なアーサーはマーリンの苦悩も知らず、しかし良い友として温かく扱う。イギリス人らしい、悪口を言い合い、じゃれあう二人はとても愛らしい。

 でも、でも。最終シーズンの終わり方はひどいです……。長い長い時間、ふたりの仲良さ、マーリンの苦悩を見てきた果てに、あの終わり方って……(涙)

 最初のシーズンで、キャメロットに捕らわれていた最後のドラゴン(声がジョン・ハート)が、マーリンに言った言葉は、「お前は、アーサーに仕え、彼が王となってアビニヨンを統一するのを助けるのだ、それがお前の定め(デスティニー)」だと言います。 

 マーリンはドラゴン使いでもあり、危機に瀕するとドラゴンを呼ぶことができます。ドラゴンの言葉は重く、彼は素直にドラゴンの言葉を信じ、自分の宿命としてアーサーを助けることに邁進することになります。決して認められることもなく、魔法を使って王子を助けても、知られれば打ち首。命をかけてアーサーを守る。呑気なアーサーはマーリンを虚弱な従者と見做し、友達として信頼はしていても、決してマーリンに敬意や謝意は持たない。

 それでもマーリンがアーサーを助けるのは、宿命だと思うだけではなく、アーサーに仕えていくうちに、アーサーへの深い愛情を持つようになるからこそ。愛情が生まれたのですね。魔法を禁止する厳しい王ウーサーの後にアーサーが王となり、いつか魔法を使える自由な世界が来ることを信じて、健気なほどにがんばります。そんなマーリンに感情移入してしまうのは自然。見ている者はマーリンが魔法使いであることをアーサーに伝えて、アーサーと共にキャメロットの平和を見ることができると思ってドラマを見続けます(私はそう思って楽しみにしていました)。

 水晶の祠でマーリンが哀しい未来を見てしまった時も、師匠のガイアスもドラゴンも、「未来は変えることができる」と言う。運命もまた変えることができるのだと、マーリンの父もそう言ってマーリンを励ます。そうだそうだと、私もそう思いながらマーリンをみつめていました。

 なのに!!!!!!!

 最後の戦いでアーサーが刺されてしまい、死にそうになった時…。やっとマーリンが涙ながらに魔法使いだと告白したら、一瞬嫌悪感と騙された怒りを表すアーサー。それでもアーサーの命を助けようと必至に尽くすマーリン。無償の愛とはこれでしょう。死にそうなアーサーを唯つ救える場所アバロンに連れていくために、アーサーに疎んじられつつも絶対に諦めない。アーサーも徐々にマーリンがどれだけアーサーに尽くしてきたか理解する。魔法への嫌悪がやっと消える…。

 このエピは、アーサーの愛する妻なんてそっちのけで、マーリンとアーサーの愛情物語です。アーサーを全身全霊で愛したのは、妻よりマーリンにしか見えない。このふたりの間にはグウェンは入り込めないほどの深い愛情。だから瀕死のアーサーが最後は助かってふたりで新しいキャメロットを生きるのかと思っていたのに……。

 最終シーズンの最終エピ。なんとか王になったアーサー、なんで殺すのーーーーーーー!!!!???

 アーサーが死にそうになって、泣きながらドラゴンを呼ぶマーリン。生き延びるための唯つの希望がアバロンへ行くこと。ドラゴンはふたりをアバロンに運ぶのですが……。やっぱりアーサー死んじゃう……。半狂乱になるマーリンにドラゴンが言う言葉。

 「残念だが手遅れだ。それがアーサーの天命だ。受け止めよ」って……。

 言ってること違うじゃん!!! 最初に、運命は変えられるって言ったでしょうが!!ドラゴンよ。マーリンに「お前の運命は、アーサー王に仕え、世界が統一されるのを見るのだ」って言ったじゃないかああああああ。

 ここで私は怒りまくりですよ。
 アーサーの亡骸を抱きしめながら絶叫するマーリンの気持ちがあまりにつらいのに、あっさり死んだアーサーにびっくりして、一緒に泣くこともできない。

 その上、ドラゴン「アーサーは永遠の王である。再び復活する日が来るだろう」って飛び立っていく。

 そ、そうなの? じゃあ、いつか、アーサーが復活するのね!? その時ふたりはまた会えるのね??;;

と思ったら、最後のカット。トラックが走りすぎ、アバロンが見える。そこを歩くのは現代の格好をした年老いたマーリン。え? ええええええー??????

 アーサー王、復活しなかったのね、それどころか、その後、マーリンどうしてたのよ。ひとりで孤独に長い長い人生を生きてきたの?? そんな………。

 私の最後の感想は、「ドラゴンのうそつき!!涙」でした(笑)  まんま子供の感想です…。

 だって、ドラマ見ていたら、本当に一途なマーリンの愛情にほだされますもん。マーリンにとってアーサーは愛しい人。本当に愛していたのに…。

 アーサーが助かって、キャメロットでは魔法が許され、マーリンはアーサーの輝かしい未来にいつまでも付き添う……、こういうエンディングではだめなんですか?;; マーリンがかわいそうでかわいそうで…。運命とか嘘つき。

 だめだ、単なる子供の感想になっています;

 それと、これはアーサー王の話ではないですね。アーサーはマーリンがいなかったら、単なる人の良い筋肉バカですもん。岩に封印されたドラゴンの剣(私はエクスカリバーと呼び続けましたがドラマでは呼ばない)を抜く瞬間さえ、後ろでマーリンが魔法使ってたから剣が抜けた。それじゃ伝説の王じゃないじゃん…。アーサー王の偉大さは、このドラマには描かれていません。ただただ、マーリンが愛する、呑気で優しくて勇敢な王というだけ。まあ、ドラマのタイトル通り、マーリンが主人公ですから、それでいいのかもしれないけど…。なんか、もう少しアーサー王たるところも出してほしかったなあと思います。

 あまりに悲しかったので、今日からまたシーズン1から見返しています。
 シーズンが深まるたびに、裏切りばかりでどんどん暗くなるので、コメディタッチがあって微笑ましいシーズン1を見るとホッとします。そして、あらためて、このドラマは、アーサーとマーリンの愛の物語なんだと思いました。

 

「ザ・エクスパンス」

「The Expanse」(ザ・エクスパンス)★★★★★

The Expanse Boxed Set: Leviathan Wakes, Caliban's War and Abaddon's Gate

The Expanse Boxed Set: Leviathan Wakes, Caliban's War and Abaddon's Gate

NetFlixオリジナルドラマ、「ザ・エクスパンス」

年末年始にお時間のある方はぜひぜひ。
すばらしい構成、世界観、ハードSFの世界、そして、人間臭さ。
30年前ぐらい?? 初めて「ブレード・ランナー」を見た時の衝撃と、「スタートレック」に溢れる深い哲学的考察に夢中になった感覚、それプラス、何故か、レイモンド・チャンドラーが描いたフィリップ・マーロウまで思い出してしまう。ハードボイルド的な静かな哀しみと孤独と愛情、SF世界なのに文学的。
なにこれ、おもしろい!! すばらしいではないですか。

説明はしません。ただ見てほしいです。

「The Walking Dead」シーズン7 配信開始 Hulu

ウォーキング・デッド DVD-BOX

ウォーキング・デッド DVD-BOX

ウォーキング・デッド7

ウォーキング・デッド7

 正直、シーズン6から、ドラマが錯綜し始めていて、もう書くことがないのではないかと、つらい気持ちで見ていました。シーズン7のエピソード1でお腹いっぱい。理不尽過ぎてグロすぎて、ドラマを続ける意味がみつからないと思うような展開。どうやって終わればいいのかな…。と、自分でも考えてしまう。制作側も俳優陣もきっとつらいのではないかと思ったりしました。

 シチュエーションドラマのおもしろさは、長い期間をかけてキャラクターたち、それぞれの魅力が引き出され、ひとりでに動き出し、見ている者はそれぞれのキャラクターを愛するようになるところ。彼らの幸福を願い、彼らと共に笑ったり悲しんだり怒ったりする。その深い親しみの気持ちができあがれば、ドラマは大成功で、いつまでも続けることができる。
 
 でも、製作する間に、いろいろなことが起こる。何年も続ければ疲れてくる俳優さんもいるだろうし、倦怠感が漂うこともある。特にこの「ウォーキング・デッド」は、世界そのものが崩れ落ちた後で、誰も信じられない究極の恐怖と緊張感から始まっている。その緊張感や絶望から生まれるキャラ同士の信頼関係こそが私を魅了し続けてくれたわけですが…。無理矢理新しい緊張感や恐怖を生み出すしかないドラマの行く末。こんな方法は不毛ではないかと感じた新しいシーズン。絶望を押し付けられても困る。

 愛したドラマだからこそ、美しく終わって欲しい。ゾンビものはほとんど見ているけれど、最初の頃のこのドラマのすばらしさは今でも変わらない。こんなおもしろいゾンビドラマはないと思った。ダリルを愛して、他のキャラも愛して、見守ってきた。でも…そろそろだめかなあ。愛したがゆえに終わって欲しいと思うドラマは初めてかも。