小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

公式ブログからこちらに引っ越し。試用期間中です。

『カポーティ』

★★★★★

カポーティ

カポーティ


 『冷血』を読んだのがたぶん20年くらい前。ごくごく若い頃に見た『名探偵登場』というちょっとおちゃらけた古い映画に出てきた小さなおじさんが、あの『ティファニーで朝食を』を著した高名な作家と知ったのが先だったか後だったか…。私が初めて見た奇妙な声で話す背の小さい不思議なおじさんは、すでに晩年のカポーティでした。小説『ティファニーで朝食を』は映画のようなロマンチックなものではなく、どこか狂気というか混乱を感じさせる奔放な女性が主人公で、周りがそれに翻弄される不思議で魅力的な小説でした。


 時期は忘れてしまいましたが『冷血』を読んだ時の衝撃はずっと残っていて、その小説からカポーティにハマっていったような気がします。カポーティの作品というより、彼そのものに。小さくて一見醜悪なのに愛らしい目をしていて、人々を魅了する話術を持ち、社交界や派手な交友が大好きで映画俳優など時のセレブリティのたくさんと交友を持ち、自己顕示欲が強くて、自惚れ屋でいて傷つきやすく、感情の起伏も激しく、邪悪で嘘つきなのに周りに愛され、ゲイであった、奇怪な人物…。当時アメリカでも作家カポーティそのものが興味深い存在であったようです。


 そのスノッブな作家が重厚で綿密で深い洞察の元に構築された硬質なノンフィクション『冷血』を書いたことが最初は不思議でならなかった。社交界でちゃらちゃらしていた彼が、アメリカの遠い田舎で起きた一家惨殺事件に興味を持ち、現場に行き、犯人たちと何年にもわたって面談することになる。彼に作家としての渾身の力と魂を費やしてこの本を書き上げさせたものはなんだったのか。その答えが、すべてこの映画『カポーティ』に描かれていました。途中、訳のわからない感動と感情の波に襲われて私は何度も泣いていました。


 『冷血』を読むとわかりますが、犯人のひとりペリー・スミスへのカポーティののめりこみ方は尋常ならぬものがあります。まるで彼の代弁者のごとく、最初は殺すつもりもなく金目当てで押し入った田舎の農場の家で、結局一家全員を惨殺していった犯人(特にペリー)の側の気持ちや感情を恐ろしいほどリアルに丁寧に描写している。


【以降ネタバレあり】



 映画を見てその理由が理解できました。取材対象として近づいたペリー・スミスに出会った瞬間にカポーティは彼に魅了されていたのだと。不幸な生い立ち、当時のアメリカにおいては底辺に属する出自、身体的なハンデ、頭脳明晰、人を見抜く洞察力と人を操る才能があり、そして、自惚れ屋で傲慢で淋しげ。人を思いやる優しい面と瞬時に残酷になれる二面性。その不思議な魅力を持つペリー・スミスに、カポーティはまさに自分の影を見ていたのだと。そして、ペリーと面会するたびに彼に対してある種の愛情さえ抱くことになる過程が、とても自然に心に入ってきました。


 1ヶ月も食事を取らず衰弱したペリーを見て、ベビーフードを買ってきて食べさせるシーンなど、はっきりとペリーに対しての愛情が見える。それでいて、ふたりとも、互いを利用しようという下心もある。ペリーが吐き出す言葉の中に「おいしい部分」をみつけた時、作家としてのカポーティはほくそえんでいたはず。ペリーはカポーティが大物で顔が広いことを知って裁判に利用しようとする。ふたりとも嘘を付き合いながら、探りあいながら、それでいて、たまに一個の人間同士としての真摯な触れ合いが生まれたり…。そうやってお互いに惹かれていく。


 取材者としてのずるがしこさと好奇心でペリーに近づいたのに、結局取材対象者にのめりこんで行く様は興味深く、やがて自分を切り刻むような痛みを持ってペリーと交流する羽目になるカポーティの姿がいとおしくてたまりませんでした。作品を書き進めながら、なかなか事件当夜のことをしゃべらないペリーに苛立ちつつも愛情は隠せず、でもどこかで嫌悪している自分にも気づいている。ペリーの処刑が控訴によって伸びるたびに、カポーティは心が切り刻まれるような痛みにもだえる。ペリーに死んでもらって作品を完成させたいという作家としての冷徹な気持ちと、ペリーを失う人間としての痛みとの間での葛藤のすざまじさは映画から真っ直ぐに伝わってきました。


 その苦悩をすべて理解していた幼馴染みの女性作家。彼女がカポーティに「ペリーを愛しているの?」と聞くと、カポーティは逡巡した後、「彼と僕は同じ家に育った。そして彼は裏口から家を飛び出し、僕は正面のドアから出て行った」と言う。この言葉は、カポーティがペリーに自分自身を見ていたことを非常にうまく表現しています。彼らはあまりに似ていた。にも関わらず、世に出た姿は全く逆であり、住む世界もかけ離れていた。


 最高裁控訴したくて新しい弁護士を探してとカポーティにねだるペリー。カポーティはまたもや苦しむ。ペリーの死をどこかで望む自分がいることを知っているから。そして「弁護士はみつからなかった」と嘘の断りを書き送る。冷たい返答をした後に、今度はカポーティはペリーに対しての後ろめたさに苦しむ。この相反する気持ち(だけど矛盾しているわけではなく非常に人間的)が交錯して彼を苦しめる様を見て、私も同じように息苦しくなりました。

 
 ハイライトシーンはなんといっても、やっとペリーが事件当夜のことを話す瞬間。ペリーが何故、最初は温情を見せて扱っていた一家4人を、惨殺するに至ったか…。手綱を緩めてやった一家の主人と言葉を交わした時、ペリーは彼の強い恐怖心を感じ取った。それがすべての引き金だったのかもしれない、まさに肝の部分の告白。少し前までは縛られた長男が楽なように枕をあてがってやる配慮さえあったのに、瞬時に冷酷な殺意に成り代わった瞬間がやっとペリーから語られるシーンは圧巻です。


 「一家の主人は他の家族を気遣っていた。とてもいい人間なんだと思った。でも彼は俺が彼を殺すと思って恐れていた。俺はそれを恥じた…。その後もずっと、彼はいい人間なんだなとそのことを考えていた。あの音を聞くまで」


 …あの音とは――。


 その告白を聞き終えたカポーティは言葉もなくペリーをみつめていました。恐らく「ああ、これで作品を完成させることができる」という喜びもあったでしょうけど。それよりもその告白に深い衝撃を受けていたことは確か。一家の主人が「いい人で紳士」だったからこそ、ペリーは彼に殺人者と思われていたことを恥じた。恥じると同時に怒りのようなものが生まれたのかもしれない。何故自分を恐れるのか…と。人質になっている側は恐れて当然なのに、ペリーから見ればその恐れは理不尽だったということなのでしょう。


 そして、小説は完成され、とうとう処刑の日が決まったという知らせが来る。カポーティは恐れおののき、さらに激しく落ち込み、ベッドから出ることもできないほどの状態に陥り、ペリーだけでなく誰とも話す気力さえ失う。「世紀を超える傑作になる」と自分から言って書き始めたノンフィクション(実際『冷血』は文学史に永久に刻まれる名作となったのだけど)。作家としてはすばらしい取材対象を得たという喜びから始まった数年に及ぶ取材で、最後の最後に、カポーティは自分の中の一個の人間としての気持ちに飲み込まれることになる。そしてただベッドの中に横たわってペリーの処刑の日が過ぎ去るのを待っていた彼の元にペリーからの伝言が入る…。


 その伝言は実に真摯でカポーティの心を動かすに十分な力がありました。ペリーのこういう才覚にカポーティは結果翻弄されていたように思えます。実はペリーのほうがカポーティの心を見抜き操っていたのでは?とさえ思う。その伝言を聞くやカポーティはベッドから出て死刑直前のペリーに結局会いに行くことを決断。刑務所に行きペリーと面と向かって話し出した途端泣き出すカポーティ。泣きながらも最後まで嘘をつくところがなんともリアルで愛らしい(いや、その瞬間は彼にとっては嘘ではなく真実の気持ちであったのでしょうけど)。ペリーはそのカポーティの葛藤やそれまで彼が散りばめてきた小さな嘘を見抜いていたようにも思えます。だからこそカポーティも彼に会うのを怖がったのではないかと…。お互いにお互いを見抜いていた関係であったからこそ。


 作家としての性…。自分の家族でも友人でもおもしろいネタがあれば書きたくてたまらない。それは時に暴力にもなりうる冷酷な視点でもあるし、実際に取材対象者やモデルを傷つけ苦しめる。作家の多くは作品を書いた後は対象者に見せた懇意を翻し、見事に彼らを裏切ることができる。…でも、カポーティは最後にそういう作家としての自分を捨ててました。ペリーの願いを聞き、友人として処刑現場に立ち彼の最後を見届けるという辛い選択をした。そんな必要はなかったのに。


 処刑現場にカポーティを立たせたのは、人間としての誠実さであり、ペリーへの愛情だったのだなと思えて、それでホッとしたし泣けました。でもその処刑を見届けたことは彼を完璧に打ちのめすことになる…。幼馴染の電話で「僕はもう立ち直れない…」とまで言う。「僕は彼を助けることができなかった」と懺悔する。だけど、幼馴染の女性作家は、冷静に「…結局のところ、あなたは彼を助けたくなかったのよ」とまさに真実を突きつける。そこのシーンがとても好きです。


 世紀の傑作『冷血』の後、ひとつの小説も完成できず、最後はアル中で死んでいったカポーティ。傑作を生み出す代わりに、彼の心は文字通り打ちのめされてしまったのでしょう。皮肉屋で他人をこ馬鹿にしつつセレブリティとして華やかな世界に生きていた彼が、作家として魂を打ち込んで書いた作品。ペリーの心を覗くたびに自分に潜む劣等感やら心の傷も見てしまった。そして何よりペリーを愛してしまった…。彼にとって『冷血』は彼の人生の息の根を止める作品になってしまったのかも。


 カポーティのファンだからなのか、仕事柄作家側の気持ちが少しはわかるからなのか。私はこの映画に心を鷲づかみされたような気持ちです。無駄なシーンはひとつもなく。荒涼とした南部の風景が目に焼きついたまま。毎夜のごとく著名人が集まるパーティは華やかなのに陰鬱にしか見えない。人々を笑わせながらそんな自分を嫌悪していたようにも見える。語り過ぎない台詞からカポーティの心が素直に読み取れます。演出がうまい。私的今年見た映画の最高傑作は、『ロード・オブ・ウォー』から、この映画になりました。カポーティを知らない人であっても心にぐいぐいと入り込む力を持った作品だと思います。


 そして、フィリップ・シーモア・ホフマンが初めて製作を手がけ主役をやった映画でアカデミー賞主演男優賞を獲得したこともすばらしい。それまで脇で光る俳優さんだった彼が一躍脚光を浴びるのを見るのは嬉しいことです。ペリー・スミス役のクリフトン・コリンズJrの演技もすばらしかった。彼の眼差しはすごい。カポーティに利用される立場なのに、いつの間にかカポーティを「たらしこんだ」その不思議な魅力を、見事に再現していたと思います。


 あまりにカポーティへの長年の思い入れが強いせいか、もしかしたら私はこの映画にのめりこみ過ぎてるかもしれません。客観的に映画として見てないかも…。でも一緒に見た夫(カポーティの作品は一度も読んでいない)も、かなり熱心に見入って、とても心を動かされた様子。個人的に嬉しい。そして、あらためてカポーティという奇怪で風変わりな作家がいとおしくなりました。原作もカポーティへの理解と敬意と愛情に溢れていると思います。劇中に出てきたペリーからカポーティに送られた手紙は一字一句、本物と違わないという誠実な作りもいい。この映画に出会えてよかった…。


 追記:感動のあまり、浜村淳並みに語ってしまいました…反省。いい映画は語らずとも見てもらえれば伝わるのに…。