小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

公式ブログからこちらに引っ越し。試用期間中です。

 『ジャケット』

★★★☆☆

ジャケット [DVD]

ジャケット [DVD]


 事前の情報全くなしで、DVDのジャケット見てミステリーかスリラーかなあと借りてきました。プロデューサーがスティーヴン・ソダーバーグジョージ・クルーニー。主役がエイドリアン・ブロディ。脇を固める役者もいい役者ばかり。ジェニファー・ジェイソン・リー(久しぶりに彼女を見られて嬉しい。顔としゃべり方が好き)、キーラ・ナイトレイ、そして懐かしいクリス・クリストファーソン(さすがに年取ったけれど逆にいい味が出てる)。


 最初のシーン以降しばらく「???」という展開で現状把握が出来にくい上、クローネンバーグ映画みたいなグロさと変態臭があって、前半はほとんど拷問を見てるみたいで苦しくなった。エイドリアン・ブロディが「戦場のピアニストの続き?」って思うくらいやせ細っていて、この人の悲しげな眉と瞳が余計につらさを強調する。あまりにサディスティックな話の始まりで、うわ…ちょっと失敗した?と思ったけれど……。最後はほんわかとさせてくれました。おもしろかったです。でも、いまひとつ足りない感じ。一見、SFスリラーのタイムトラベルものみたいだけれど、私はそうではない解釈して見てました。後で知ったけれど、監督自身も「これはタイムトラベルものではない」と言ってるそう。


 以下ネタばれ


 「僕は27歳で一度死んだ」というナレーション。冒頭は湾岸戦争。そこに兵士として立つブロディがイラク人の子供に気を許した途端、その子に頭を撃ち抜かれる。気づくと野戦病院のベッドで医者たちが死亡確認をしている。だけどブロディは意識がある。目をわずかに開いたのを看護婦が気づき、慌てて医師が治療を再開。奇跡的に助かった様子。でも前方性記憶障害(『メメント』の主人公と同じ障害)を後遺症に持ち、記憶を維持するのが難しい。


 その何年か後、アメリカの田舎道を歩いているブロディ。そこで車がエンコして途方に暮れている母娘に出会い、彼は車を直してあげる。娘はブロディに初対面にしては少し不思議なほど親愛の情を見せて、彼の兵士の認識証をほしがり、ブロディも彼女の愛らしさにほだされてそれをあげる。母親は酔っていて親切にしたわりに冷たくブロディをあしらうのだけれど。


 そしてその後に若い男の車に乗せてもらうのだけど、そのまま事件に巻き込まれ、気づくと自分が警官殺しとして起訴されていて、心神耗弱で起訴取り下げて代わりに精神病院に収監。その病院に行ってからが、私にはかなり見るのが苦痛でした。拘束服(タイトルのジャケットは拘束服のこと)でがんじがらめにされて、なんとそのまま死体保管用の狭い引き出しの中に閉じ込められる。耐えられない…。…もうね、ここらへんで私、見るのやめようかなと思いました。


 でも何故か、その死体用引き出しの中で記憶がフラッシュバックして、ついには未来にまで行ってしまい、行った先の未来でかつて自分の認識証をあげた少女だったキーラ・ナイトレイと出会う。病院は1992年、キーラに出会う世界は2007年。最初おびえたキーラが病院や資料を調べるにつれ彼の超常現象を信じ、ついには愛し合うようになる。だけど逢瀬は短く、1992年にいるブロディの治療が終わると同時に2007年のブロディは消えてしまう。


 でもブロディは拷問としか思えない「治療」を望むようになる。拘束服に包まれて死体用引き出しに入れば彼女のいる未来に飛べると確信したから…。ここらへんから、「ふうん、SFタイムトラベルものなんだ…」と思うのだけど、どうもしっくり来ない。1992年での病院の担当医(ジェニファー・J・リー)が治療を行っている少年が出てくるのだけど、それが、湾岸戦争時にブロディを撃ったあの少年と同じ少年。母親もイラクのシーンで出てたらしい。こんな偶然の設定はドラマとしてはどうなんだろう…と思う。だから、これは単なるタイムトラベルではないんだな…って思い始めるわけです。イラクで撃たれたのも、2007年未来の世界でキーラと出会うのも、…あと他のシーンでもクリスマス・イヴだったような。奇妙なリンクがいくつもある。


 だんだん、これってもしかして『マルホランド・ドライブ』的展開?と、思わせるような様相になってきます(『マルホランド・ドライブ』は傑作!)。2007年に行って彼は自分がすでに死んでいることを知りその月日も知る。自分の墓も見る。だから1992年現在に戻るとあと4日で自分が死ぬことになるとわかる。死ぬ前に彼はあることをしようと決心する。未来で愛し合ったキーラのために…。


 最後まで物語説明するのも無粋なのでここでやめますが、この映画の解釈はいろいろな方向でできると思うので、見た人それぞれ解釈が違うような気がします。私は彼が体験したことがすべてファンタジーだと思ってます。彼は湾岸戦争時にすでに死んでいたんだと思う。その後の物語は彼の意識の中で繰り広げられたファンタジーであり、最後の最後に彼は愛する人の未来を変えることによって、やっと幸せな気持ちで死んでいけたんだなあ…と。ここらへんはパラレル・ワールド解釈になるんだけれど。『○○○○○・エフェ○ト』的です。


 最後のシーンがとても好き。幸せそうなキーラを見ながら、やっと穏やかな気持ちになって微笑むブロディの顔。ふたりが乗る車の後部窓から金色の光が差し込みだし、そして画面いっぱいに広がっていく。画面が真っ白になった瞬間、ブロディのことを知らないパラレル世界にいるはずのキーラが、「あとどのくらい時間あるの?」ってささやき、それで映画が終わる。すべては幻想なのか、それとも現実に起こったものなのか、曖昧にしてるところがいいし、最後のシーンは本当に美しい。優しい。ほろっと来ました。おぞましい拘束服での拷問治療で見るのやめなくてよかったなと思う。


 恐らく、もう一度詳細にシーンを検討しながら注意深く見れば、監督が残したヒントがもっとあるように思えます。彼が死んだとされる日付や、クリスマス・イブ、彼を撃った少年が何故アメリカにいるのか、キーラに出会う偶然があまりにも出来すぎなのは何故か…。私は、彼が湾岸戦争で撃たれた後長いことコーマ(昏睡)に陥っているか、実際に死んでしまったかしていて、すべての物語は彼が死に行く間に見た悲しい夢なんではないかと思ってます。


 なぜなら、1992年に死ぬ時もイラクで受けた右後頭部損傷と全く同じだし、その前に殺人事件に巻き込まれて銃で撃たれるところがあるけれど、それも同じ右後頭部損傷。彼は生還しても何度も死ぬ。同じ傷で。このことから、彼が実際にはいつ死んだか??ということが鍵になると思うのです。1992年で死んだって解釈が一番多いとは思うけど。私は湾岸戦争時に彼はすでに死んでいると思う。その後の死に方が一緒というのが象徴的だから。


 ただ、この解釈だと夢オチのようなものになってしまうのですよね。夢オチというのは脚本家や作家がやってはいけない禁忌のオチだけれど、見せ方や物語の構成によっては許されると思う。実際、こういう形のオチでも心に染みる傑作になっている映画があるし。この映画も設定と魅力的な演出と味のあるうまい役者陣のお陰で、死者の夢オチでも十分いい映画だと思います。ただそっち方面を強調するなら、過去に出てくる人たちがイラク滞在時にも彼と出会っていたりリンクしている部分があるシーンを少しだけ暗示的に出してくれるといいかも…。いや、出さないほうがいいのかな。


 いずれにしろ、これは私だけの解釈。私の解釈は少数派だと思います。まっとうにタイムトラベルだと受け止める人にとってはあまり好ましくない解釈だと思う。けど単なるタイムトラベルのほうが私は萎えるかな…。たぶん1992年に死んだ説が一番支持されていそうな気がする。でもまあ、この映画の解釈は好みの問題ですね。監督も正しい解釈を求めているように思えない。とにかく見て損はない映画です。拷問シーンが苦手な人には薦めないですが。