小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

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 『ブロークバック・マウンテン』

★★★★★

 今頃になって『ブロークバック・マウンテン』をレンタルして見ました。公開当時全世界で圧倒的な評価を受けたアン・リー監督作品。見て数日。ずっと映画のシーンが蘇って、その度にまたさらに映画に深く入り込んでいく…。そういう不思議な感覚が続いています。


 寡黙で静かで美しくて悲しくて孤独な映画……。台詞が本当に少ないのに表情だけで雄弁に様々なことを語る役者たち。誰もがあまりに見事な演技で圧倒されました。すばらしい映画だと思います。すばらしいけれど、見た後に落ち込みます…。つらい気持ちがずっと続きます。毎日主人公のイニスとジャックとその妻たちの心情が胸に蘇ってきて、ひどく淋しい気持ちにさせられる…そんな映画。


 まず引き込まれたのは映像の美しさ。空の雲、山陰、日差しを受ける岩肌、羊の群…。珍しく物語りより映像にぐぐいと引き寄せられました。映像美というと『天国の日々』で世界中から賞賛されたテレンス・マリックを思い出すけれど、『シンレッド・ライン』や『ニュー・ワールド』よりこの映画のほうがずっとずっときれいだと思った。その美しい山の中での羊飼いの仕事の過酷さ。静かに語られるふたりの貧しさや家族関係…。寡黙な若者が厳しい山の中で毎日ふたりきりで乗り越えた試練を通して、徐々に互いを受け入れていく過程も静かで淡々としていて美しい。


 …ただ、ドラマについては最初は少し気持ち的にひいて見てました。私も長年親しくしてるゲイの友人(福島光生といいます。本も出版しています)がいて、彼を通じて他のゲイの人たちとも知り合いにもなり、それまでホモ・セクシュアリティの知識や理解はほとんどなかったのが、いろいろと知る機会が増えました。友人と出会う前にも『トーチソング・トリロジー』『ジェフリー』『ブエノスアイレス』などのゲイをテーマにしたいい映画を見てきました。でも、どんなに同性愛者に対しての知識を増やしても、異性愛者の私が根本的にはゲイを理解してるとは言い難い。正直、どんなに美しい少年同士だとしても、男性同士のセックス・シーンを見たいとは思わない。抵抗感じます。


 だから美しい大自然の中で突然始まるリアルなセックスシーンにたじろぎました。前半部分は、そういう落ち着かない気持ちがどうしても出てしまって、ふたりに感情移入ができなかった…。でも、そういう抵抗感というか距離感みたいなものが、物語が進むにつれ徐々に徐々に縮まり、やがて雲散霧消し、気づくとどっぷりと彼らの気持ちの中に引き込まれ、シンクロしていました。これぞ、この映画の持つ力ですね。


 それにしても、改めてキリスト教保守層が多いアメリカの田舎町(特に南部)は同性愛者が生きるにはなんと過酷で残酷な環境なのだろうと思う。今現在でも保守的な田舎町ではゲイに対するヘイト・クライム(リンチや殺人)があると聞きます。ましてやこの物語はゲイに対しての理解など全くない1960年代で、しかもマッチョな美意識で固められたカウボーイの世界…。ゲイであることはキリスト教的にも罪であるし、カウボーイの世界ではどれだけ侮蔑され嫌悪感を持たれたか…。殺されることも普通にあった時代。あの時代に生きたゲイたちが抱えていた苦しみや恐怖は想像を絶します。


 キリスト教圏の国よりアジアの国々のほうが同性愛者に対してまだ寛容さがあるような気がします。日本でも、社会でカムアウトして生きるのは難しいのだろうけれど、ゲイであることが理由で殺される恐怖はさすがにアメリカのようにはないでしょう。この物語の主人公たちが今の時代に生まれ、もう少し都会に住んでいたら、こんな苦しみは味合わなくてすんだのかもしれない…と思うと、彼らが気の毒でたまらなくなります。そして、同性愛者である主人公ふたりだけじゃなく、彼らの周りにいた人たちみんなが傷ついて、みんなが苦しんでいる。それも本当に深く…。つらい映画です。


以下ネタばれ



 貧しい青年イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)。ブロークバック・マウンテンで起こった出来事は彼らの一生を決めてしまうほど大きな出来事。彼らが求め合ったことだけではなく、羊飼いの過酷な仕事や自然の中でたったふたりきりで日々同時に体験したことや、飽くまで寡黙に静かに交わした語らいも、どちらの父もゲイを嫌悪していた保守的な父であった事実も。とにかくすべてが絆となり、単なるひと時の肉体関係では終わらず、それは彼らにとってその後の苦しみの始まりとなってしまった。


 私の親友であり、ゲイでもある(福島光生)は「ソメイヨシノは、実をつけない」というエッセイを出してるのですが、その中で、小学校あたりからすでに自分が男にしか興味を持てないことを薄々感づいてはいたのに、大人になってからもずっと自分がゲイであることを受け入れられず、逆にゲイを嫌悪した時期があったという話があります。異性愛の一部の人たちが同性愛者に対して持つ嫌悪感や恐怖感を「ホモ・フォビア(ホモ恐怖症)」と呼ぶけれど、ゲイ自身も自分を受け入れることができないあまりにゲイを否定し嫌悪する気持ちを持つことがあり、それもまたホモ・フォビアという、複雑な心理があるようです。それを乗り越えて自分がゲイであることを受け入れるまでが本当につらいそうな。その後の人生も、親・家族へのカム・アウト、社会の中でゲイであることを隠して生きる選択、偽装結婚への葛藤など、同性愛者には何度も超えなくてはならないものがたくさんある。私には想像できない世界ですが…。


 そういう苦悩をずっと抱えていたのがイニス…。ゲイを自覚してゲイとして常に行動を起こすことができるジャックとは対照的。ジャックと恋に落ちた後もずっと「自分はホモではない」と否定し続け、幼馴染の女性と結婚し子供を作り、ストレートの男性として、カウボーイとして、生きようとするイニス。でも結局破綻…。イニスの離婚でジャックは彼と一緒に生きる希望を持つけれど、イニスは逆にジャックからも離れようとする。結局、イニスの恐怖心は妻もジャックも傷つけて、自分もまたどんどん深い孤独に追いやっていくだけ。


 イニスがこんなふうにがんじがらめになってしまうのは、イニスが子供の頃、彼の父親が近所の牧場を営んでいたゲイ・カップルの一人を惨殺し、その死体を幼いイニスに誇らしげに見せた過去のトラウマのせい。むごたらしい死体は、彼が生きる社会ではゲイとして生きる選択などないという現実を見せつけ、イニスはその恐怖からずっと逃げ出せない。だからジャックを愛していても、ゲイとして生きる選択肢などイニスにはない。かといって妻もその後に出会った恋人も心から愛せず…。どこにも進めないイニス。がんじがらめになっているイニスをみつめるジャック。そしてイニスがジャックを愛していることを知ってもなお何年も黙して待っていた妻…。誰もがあまりに悲しい。いったいどうしたらこの地獄から救われるんだろう…って、見ている私まで胸が苦しくなりました。


 そして結局、ゲイとして前に進もうとするジャックと、過去に体験した恐怖から一歩も動けないイニスの恋は、ジャックの突然の死によって、ある種の成就を遂げたような気がします。ジャックが死んだことによって、イニスは選択を迫られることから解放される。そして、ジャックを自分がどれだけ愛していたか理解し、ジャックの実家に行って重ねあわされたふたりのシャツを発見して、ジャックの愛情も確信でき、やっとイニスは自分がゲイであることを受け入れられたんではないのかなって思いました。


 最後のシーンで、引っ越したばかりのみすぼらしいトレーラーハウスの前で、郵便受けに番地を入れてそれを眺めているイニスの様子は、映画全編を通して一番穏やかな表情で一瞬晴れやかにさえ見えました。もうこれからはひとりきりで、ストレートの男性のふりをする必要もなく、ジャックとの約束や選択で悩むこともなく、ジャックとの愛を素直に認め、偽りのない自分で生きていける…。気づいた時には愛する人はいなくって、あまりに孤独であまりに悲しいけれど、一方で、苦しんで苦しんで生きてきた人生でやっと平安を見つけたのかも……そんなふうにも見えました。


 『ドニー・ダーゴ』以来売れっ子のジェイク・ギレンホールもいいけれど、ヒース・レジャーの演技は本当にすばらしかった。『チョコレート』での生真面目で無口で傷つきやすい青年役の延長線上に存在するようなキャラ。『カサノバ』での明るい色男ぶりもかなり素敵。いい俳優さんだなあと思う。ただ、かなりがんばっていた様子の南部訛りは、ぎこちなさそうにもごもごしゃべるので、ちょっと聞き取りづらかったかな。ケヴィン・コスナーマシュー・マコノヒーの南部訛りが心地よくて好きなんで、つい比べてしまう。でも声も表情も本当に素敵。


 タランティーノ出現以降、登場人物が物語とは関係ない会話を絶え間なくする映画が多くなった気がしますが、たまにこういう、台詞が圧倒的に少なく、寡黙で抑制された静かな演出を見ると心に染み込みます(タランティーノ系も大好きですけどね)。楽器を弾く時、音と音の間にある無音の間もまたメロのひとつであるように、しゃべらないシーンで語られることの多さと深さに改めて気づくというか…。登場人物すべての感情が貫くように細やかに伝わってくる。今も思い出すたび心が痛い。アン・リー監督、すごいです…。